読書日記 「はじめての構造主義」
「はじめての構造主義」という、 むちゃくちゃ面白い本を再読してるのであるが、そこで、 ソシュールという言語学者について言及されていた。
ソシュールの思想は非常に面白い。
初めて知った時は興奮した。
それはこういうものだ。
言語とは、「世界」にまずモノがあって、 それに名札のシールみたいな物を貼り付けていくのではない。
そうではなく、言語によって「世界」を切り分けていくのだ。
例えば、フランス語では「蝶」も「蛾」も「パピヨン」 という言葉で表すのだそうだ。
かといって、フランスには「蝶(あるいは蛾)」 がいないわけではない。
飽くまで、「蝶」と「蛾」を区別する文化がないのだ。
だから、「蝶」が一匹と「蛾」が一匹いたら、 どちらかが見えないというのではなく、「あっ! 二匹のパピヨンが飛んでる!」となるわけである。
このように、言語の体系によって、我々の世界の見え方( 認識の仕方)が決められるというのが、ソシュールの思想だ。
また、日本語では「水」と「お湯」があり区別されているが、 英語だと「water」と「hot water」という風に、「お湯」は「熱い水」と表現される。
こういった事態をソシュールは、「言語の恣意性」と呼んだ。
どういうことかと言うと、モノ(シニフィエ)と言葉( シニフィアン)の結びつきには、 何らの必然性もないということである。
🐶は「イヌ」ではなく、「ネコ」 という名前がついててもよかったのだ。
ちなみに、この「はじめての構造主義」は、超がつく名著なので、 是非、読んで欲しい。
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