QPtanの日記

読書日記や種々雑感、および英語や国語の効率的な学習法

読書日記 「バカのための読書術」

小谷野敦の「バカのための読書術」を読んだ。


タイトルが挑発的だが、非常に良くできた読書ガイド本であり、 何から読めば良いかなどが分かる。


まず、「バカは「歴史」を学ぶべし」とある。
「緒学問の中核となる学問は何か、という問題がある。(中略) 近代以前の東洋では、それは儒学(=儒教)だった。 仏教もあったが、世俗的なものとしては儒学である。儒学は、 四書五経(ししょごきょう) と呼ばれる書物を学ぶことを第一とした。それは、「論語」「 孟子」「大学」「中庸」および、「易経」「書経」「詩経」「 春秋」「礼記(らいき)」である。(中略)西洋では、 キリスト教以前には、ギリシアの哲学、自然学などがあったが、 やはり哲学が中核だったと言っていいだろう。中世になると、 キリスト教神学が学問の中心となり、「哲学は神学のはしため」 とされた。ルネッサンス以降は哲学が復興したが、 同時に自然科学も急速な展開を遂げる。二十世紀は、 もはや自然科学こそが学問の中心のようになっており、 その中でも生物学は化学に、化学は物理学に収斂(しゅうれん) するものとされるようになる。(中略)そこで、 バカは何を学問の中核として読書に臨んだらいいのか、 ということを考えたのである。私の出した結論は、歴史である。 と言っても、「歴史とは何か」とか、「事実は存在するのか」 といったような高度なものではなく、高校で習うような「日本史」 「世界史」の類のことである」
「「バカ」は、「事実」に就くべし!」とし、頭が悪くても「 知識」があれば、頭の良い人間を論破できる好例として、 朝日新聞紙上での大江健三郎とテツオ・ナジタ( 日本近世の思想史を研究している米国の学者) の往復書簡を挙げる。
「ある時、ナジタは、近世中期の思想家、山片蟠桃(「やまがた・ ばんとう」)という人の著書を挙げて、「そこには「記紀」 に出てくる神話が作り事である、と書いてある。 国家の起源を否定しながら蟠桃は処罰もされなかった。 何という言論の自由があったのでしょう」と書いていた。 しかし、徳川時代(=江戸時代)においては、 事実上の権力は徳川家にあったのであり、 天皇家の起源を否定することがマズかったとはとても思われない。 その程度のことを押さえておけば、「はは~ん、ナジタ先生、 近代日本の抑圧性を強調したいあまり、筆が滑ったな~」と分かるのである」
「学者だの知識人だのの中には、西洋の最先端の思想に通暁( つうぎょう)していて難解なことを言っていても、 結構こういう歴史に疎い人が多いから、付け目である」


次に蔵書派か図書館派か、と問う。
自分は蔵書派だ。
しかるべき箇所には赤線を引くし、 気になったら本棚からすぐに取り出して読むので、 図書館派には絶対になれない。
もっとも、図書館で借りた本に線を引く困った輩もいるが、 こういった人は何の目的で線を引くんだろうか。


この本に限らず小谷野さんの本が面白いのは、学者& インテリ世界の裏事情を知ることができるからだ。
例えば、インテリは「バカだと思われたくない病」に罹(かか) っているらしい。
「もっとも、この病には罹っていないが、単にほんとうのバカ、 という場合もある」
で、インテリはたいていフロム(「自由からの逃走」において、 ファシズムの発生を、人間は自由の重荷に耐えきれないから、 自分で自分を支配するよりも、強い他者(=独裁者) に支配されたがる、と分析したユダヤ人学者) をバカにしているらしく、人にはススメないそうだ。
それと、これは自分でも予測がつくのだが、インテリは、 まず司馬遼太郎の本なんかススメない。 
が、司馬遼太郎の小説は、時代考証がしっかりしているから、 司馬の作品に現れた知識はどんどん活用したほうがイイらしい。
小谷野さんが、「現代日本において、 面白いものを書くことでは右に出るものはいない学者」と絶賛する井上章一も、豊臣秀吉について調べようと思い、 司馬の「新史太閤記」を読み、「 歴史のおおざっぱな見取り図を得る時には、歴史小説を読む」 んだそうだ。

 

よく、入門書なんか読まないで原典に当たれ!、 などと言う人がいるが、小谷野さんは、 入門書はどんどん活用すべきだと言う。
が、どうやって入門書を探すかが問題だ。
そこで、 この本では具体的な入門書の探しかたや気をつけるべきことなどが 丁寧に書かれている。
詳しくは本書を読んでもらうとして、 簡単に学問の別ごとに書かれている内容を紹介する。
*経済学
 「経済学というのは、重要なようだが、 役に立っているかどうか極めて怪しい学問に成り果ててしまった。 なにしろ未来予測が全然できないのである。ただ、 やはり資本主義とか貨幣とかいうものについては知っておいたほう がいいと思う」と言って、司馬遼太郎の「菜の花の沖」が、 はたまた、柄谷行人の「マルクスその可能性の中心」や、 その簡易版である岩井克人の「ヴェニスの商人資本論」 が挙がっている。
*心理学
 「恋愛、嫉妬、欲望、猜疑、不安、他人との軋轢、 なぜ自分はいじめられるか、等々、どうしたって近代人の理性は、 まず科学的な解明を求めるものだから、 こういう困難に出会ったとき、心理学に救いを求めようとする。 ではなぜ前近代の人間は心理学にさほど興味を持たなかったかと言 えば、やはりそれは、 迷信とか魔術とか言われるものへの信頼が大きかったからだ。 近代的理性がこういう迷信、 俗信の類をとりあえず放逐してしまったあと、 人々は心理学という学問に頼ろうとするようになった。もっとも、 そんな状態になったのは、日本では1950年以降だろう。 それまでは、人々は「階級社会」に生きていたからだ。 階級社会では、人間は均質ではなくて、金持ちの子弟だったり、 貧しい家の子弟だったりするし、中卒と大卒では大きく違う。 もちろん今でも違うだろうが、 戦前に比べれば均質化が進んだのは確かだ。 そういうところでこそ、心理学がものを言う」と小谷野さんは言いつつすぐ後で、「戦後日本では、 いつの間にか「1億総中流」などと言われるようになったが、 どう考えたって、都内の一等地に豪邸を持っている人たちと、 茨城県のほうにローンを組んで家を建てて二時間半かけて都心に通 勤している人と、地方で農業をやっている人と、 団地や宿舎で一家四人が住んでいるような人が、同じ「中流」 でなぞあるわけがない」と矛盾したようなことを言うのだが。 。。
*宗教
 ・ユダヤキリスト教
 「キリスト教の初期の著者テルトゥリアヌスは「 不合理ゆえに我信ず」と言ったが、宗教というのは、 合理的だから、正しいから信じる、というものではないのである。 (中略)キリスト教でも、 これを理性的に説明しようとした神学者たち、トマス・ アクィナスのような人はいるけれど、最終的に、 神のような存在は理性では説明できない、としたカントの「 純粋理性批判」の立場が正しいと思う」
では、何を学ぶべきなのか?
ここで、小谷野さんは、「旧約」からはトーラー、別名「 モーゼ五書」(「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」 「申命記」)を、「新約」からは「福音書」と「黙示録」 を学ぶことを勧める。
 ・仏教
 「仏教も深入りするとキリがないので、「ブッダのことば」( 岩波文庫)のような初期仏典か、親鸞の「歎異抄(たんにしょう) 」(講談社学術文庫)や、道元の言葉を弟子の懐奘(えじょう) が記録した「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」 (ちくま学芸文庫)を読むといい。(中略) あるいはいっそのこと、司馬遼太郎の「空海の風景」 を読んでもいい」
 ・儒学
 「「論語」「孟子」「大学」「中庸」のような基本書を、 しかるべき解説を参照しながら読んでもらいたい」
*文学
 いきなり、見も蓋もないことを小谷野さんは言うのだが、「 文学は無理に勉強しなくてもいい」んだそうである。
「努力して関心を持つというのは不可能に近いのであって、 全体の九割の人間はしょせん文学とは無縁なのである」
「文藝というものは、その多くが「恋愛」を扱っている。 西洋でも日本でも、古代からそうである。 例外は漢詩の世界である。漢文&漢詩は、極力、 男女の情愛など扱わない。もっぱら歴史であり、倫理であり、 あるいは厳密な作詩の規則に従った自然描写や友情である」


「バカもあまりこじらせてはいけない。 たとえばテレビのワイドショーとか低級なお笑い番組とか、 ああいうものをあまり観ていると確実にバカをこじらせる。 小説だって、 村上由佳だの西村京太郎だのをあまり読んでいるとバカを悪化させる。「マンガを読むとバカになりませんか」 と言われて怒るマンガ評論家がいるが、もちろん中には、 若い女がすぐハダカになって「あふん」 などと言っているマンガのように、 読むとバカになるマンガもある。それからもっとまずいのは、 携帯電話を手放せない連中である。あれは中毒性のものだから、 続けていると、バカになるというよりも、人格が崩壊する」

 

また、「史観」についても書いている。
ユダヤキリスト教史観・・・いずれ最終戦争が起こって、 人々は最後の審判を受ける。

*仏教の末法思想・・・ブッダ入滅後、正法(しょうほう)、 像法(ぞうほう)、末法(まっぽう) の世界が順にやってきて世界が終わる。
ヘーゲル哲学の歴史観・・・ 人類はアジア的な段階からギリシア& ローマ的な段階を経てキリスト教的段階に至る。
ここでの、小谷野さんのぶった切りかたが面白い。
「これらは一種の信仰であり、学問とは言えず、 ヘーゲルの歴史哲学などというのは、 ノストラダムスの大予言と大して変わらないたわごとである」
司馬史観」というのもあるらしい。
「近代日本は国の近代化にがんばった、日清・ 日露戦争は立派に戦った。しかしそれ以後は、 朝鮮を併合したりシナに無謀な進出をしたり米国と戦ったりしてダ メになった、という見方のことらしい。(中略)が、 司馬遼太郎は、何も近代ばかりを書いていたわけではない。 古くは空海から、幕末・ 維新期に至るまで多くの小説を書いているのであって、 それらはここで言われている「司馬史観」とは何の関係もない」


本書には「読んではいけない本」ブックガイドもついてあり、 読めば爆笑間違いなしである。

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