QPtanの日記

読書日記や種々雑感、および英語や国語の効率的な学習法

読書日記 「評論家入門」

自分の一番好きな学者&作家&評論家である、小谷野敦の「評論家入門」を読んだ。


冒頭に、「小説というのは売れれば売れるが、 仕事として続けるならやはり特殊な才能が必要だ。 評論やエッセイ(=随筆)なら、 そこそこの知性さえあれば書ける」、とあるが正直疑問だ。
小谷野さんは「そこそこの知性」があれば「評論は書ける」 と言うが、問題は小谷野さんの意味する「そこそこの知性」 である。
何だか揚げ足を取るようだが、自分が思うに「かなりの知性」 がないとまともな評論なんか書けない。
書けても、誰も読まない。
次の文章がそれを物語っている。
「どうも世間には、 日本近代文学についてちょこっと知識があるだけで文藝評論を書き出そうとする手合いがいるのだが、 日本で文藝評論家を名乗ろうというなら、せめて「万葉集」 に始まる日本の古典(おそらくは「記紀」(「古事記」と「 日本書紀」を併せた略称)や「源氏物語」、「枕草子」、「 徒然草」のことだろう)、 それからホメロスシェイクスピアを筆頭とする西洋の古典、「 水滸伝」&「三國志演義」や「四書五経(ししょごきょう)」( 儒教=儒学の基本文献であり、「論語」&「孟子」&「大学」&「 中庸」および、「易経」&「書経」&「詩経」&「春秋」&「 礼記(らいき)」) 程度のシナ古典くらいは知っておいてほしいものである」 とある。
。。。
凄まじいまでの知識が要求されることが分かる。
ま~、確かに、知識があることと頭の良さは別なので、 小谷野さんが「評論はそこそこの知性さえあれば書ける」というのと矛盾はしていない。


次は、主に小説について書かれている。
「近代社会で王様のような地位を占めていたのが、小説( ノヴェル)である。17世紀頃の西洋に生まれ、 18世紀の英国で発達し、19世紀には西洋全体で最盛期を迎え、 20世紀半ばからは衰退に向かっている」
これは知らなかったのだが、「ノヴェル」というのは、「 普通でない」、「奇妙な」、という意味だそうだ。
だから、「小説というのは、尋常でない事件や人を描くもの」らしい。


「論争の仕方」についても書かれている。
大物相手に論争すると「干されて」原稿依頼が来なくなることや、 勝てない論争はするなとか、 論争は神経がすり減り疲れるから精神安定剤を飲めとか、いっそ共産党に入れとか、「?」 と思う箇所もあるが具体的で勉強になる。
ここには、呉智英(「くれ・ともふさ」) について書かれている文章があり面白いので、 やや長くなるが引用する。
「呉に対する、「 あの人は勝てる相手としか論争しない人ですからねえ」 というコメントを見たことがあるが、そんなのは当たり前である。 大東亜戦争の日本じゃあるまいし、 勝てない戦を始めるのはバカである」


さて、「物書き」を生業にするにはどうしたら良いのか。
この本で一番重要な部分だ。
小谷野さんは、自己満足でブログなどに書き散らさず、 原稿用紙200枚以上を書いて出版社へ持ち込めと主張している。
「書いて書いて書きまくれ!」とのことだ。
直木賞作家の大沢在昌(「おおさわ・ありまさ」)も、 デビューから11年間、28冊の小説を書いて、 すべて初版どまりだったそうだ。
また、誰もが知っている西村京太郎も、 35歳で江戸川乱歩賞を取ってから、48歳までの13年間、 約40冊の小説を出したが売れなかったらしい。
う~む。。。
 
最後に「あとがき」があり、ここも笑えるので引用する。
「時々、資産運用を勧めるセールスの電話がかかってくる。( 中略)こういう時、普通は「間に合ってますから」 などと言って切るのだろうが、私は教育者なので啓蒙する」

 

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