QPtanの日記

読書日記や種々雑感、および英語や国語の効率的な学習法

世界史クイズ11〜20・解説付き回答(完全版)

2日遅れたがようやく書き終えた。

約束には間に合わせることができなかったが、その代わりに情報の正確さには自信を持っている。

何度も読み返したし、そのおかげで自分が問題作成に間違ったのにも気がついた。

致命的な誤りは問11。

フランス・カペ〜朝の継承権を主張したのはエドワ〜ド3世が正しいにも拘わらず、エドワ〜6世と書いてしまっていた。

他にも、問12も作り間違えた。

「15年戦争」が実在したことをすっかり忘れていた。

以後、気をつけるようにするので許して頂きたい。

では、行こう。

 

世界史クイズ11

 


ジャンヌ・ダルクで有名な英仏100年戦争は何が原因で起きたか?

 

1、毛織物産業の中心地であるフランスのフランドル地方とワインの積出港・ボルド〜を中心としたギュイエンヌ地方(当時はイギリス国王の領地)にフランス国王が勢力を伸ばそうとして。また、フランスはカペ〜朝がフィリップ4世が死んでしばらくすると世継ぎがいなかったため断絶してカペ〜家の親戚のフィリップ6世がヴァロワ朝を創始したが、イギリス王エドワ〜ド3世は母親がフィリップ4世の娘であったことからフランス・カペ〜朝の王位継承権を主張して。

2、イギリスはこの当時、広大な領地をフランス国内に持っていたためフランスの王朝がカペ〜朝からヴァロワ朝に移る中で起こる混乱を危惧し、自ら(イギリス)の保有地の安全を守るためにフランスへと軍を派兵した。

が、それを快よく思わないフランスの国民感情が爆発して軍事衝突に至ってしまった。

3、毛織物業が主な得意産業であったイギリスはカペ〜朝からヴァロワ朝への王朝交代のどさくさに紛れて、フランスにおける毛織物産業の中心地であるフランドル地方を奪おうとしてフランスに侵略した。

4、土地が痩せていたイギリスはかねてより肥沃な土地を有するフランスが欲しかった。フランス王朝の交代はそれにまたとないチャンスであったため。

 


答え)①

解説)この問題には敢えて解説を付け加えることはないであろう。①の選択肢をよく読んで、「そうだったんだ〜!」とこれを期に知って欲しい。少しだけ解説をすると、カペ〜朝の正当な継承権が誰にあるかはどうでもよかったらしい。イギリス側が王位継承権を主張したのはただ単に口実に過ぎず、フランスと戦争をしてフランドル地方を奪いたかったに過ぎなかったそうな。。。とすると③も正解になってしまうような。今(2020/2/10/15:29)、気がついた。

 


世界史クイズ12

 


次の中で実在しなかった戦争はどれか?

 

1、7年戦争

2、15年戦争

3、30年戦争

4、100年戦争

 


答え)この問題は作り間違えてしまった。昨夜(2/8)、気がついたのだが、②の「15年戦争」は問題を作成した時点では忘れていた。が、「15年戦争」とは昭和6年に起こった「満州時変」から日本と中国が全面的に戦争状態になった「日中戦争」、そしてそれから昭和16年に始まった「太平洋戦争」を挟んで昭和20年の日本による無条件降伏に至るまでの15年間を指す言葉で実際に存在する。すっかり忘れていたのだが、自分が大好きな作家・小谷野敦が彼の著書の中で使っていて、そのあと大塚英志の「初心者のための文学」という本を読んでその意味を知った。よって、この問題は全てが正解である。それでは解説に行こう。

解説)①の「7年戦争」はハプスブルク家オ〜ストリアとプロイセンの間でA.D.1740〜A.D.1748に亘って戦われた戦争「オ〜ストリア継承戦争」においてシュレジエンという地方をプロイセンに奪われたオ〜ストリアがその地を奪還すべく再度、プロイセンと戦った戦争であり、オ〜ストリア側にはブルボン朝フランスがつき(この時に政略結婚としてフランスに嫁いだのが、ハプスブルク家オ〜ストリアの女帝マリア・テレジアの娘マリ〜・アントワネットである)プロイセンにはイギリスがついた。結果としては、プロイセンがシュレジエンの領有を守った。

②の解説は「答え」の欄を参照されたい。

③の「30年戦争」とは17世紀にドイツを舞台に繰り広げられた宗教戦争であり、結果として戦争の舞台となったドイツではその人口の3分の1だか3分の2が失われるという凄まじものだった。

④の答えについては私の書いた世界史クイズ11の選択肢①を熟読すること。

 


世界史クイズ13

 


スイスが現在のような永世中立国となったのはいつか?

 

1、ウェストファリア条約締結時

2、第二次大戦後

3、ウィ〜ン会議にて

4、第一次大戦

 


答え)③

解説)これは難問だったかもしれない。告白すると自分も①の「ウェストファリア条約締結時」だったか③の「ウィ〜ン会議にて」だったかを忘れてしまったのでWikipediaを参考にし、更に山川出版社の世界史用語集で確かめた。

①の「ウェストファリア条約締結時」であるが、この条約によっては永世中立国になっていない。神聖ロ〜マ帝国からの独立を勝ち取っただけだ。

②。。。論外である。

③の答えの詳しい経緯は知らない。というか忘れた。

④これまた論外。

 


世界史クイズ14

 


ナポレオンが事実上の皇帝となったのは次のうちどの事件か?

 

1、ブリュメ〜ル18日のク〜デタ〜

2、テルミド〜ル9日のク〜デタ〜

3、共産党宣言

4、イスラム革命

 


答え)①

解説)①の答えの解説だが、この時点では事実上の皇帝になったに過ぎず、正式に国民投票によって皇帝となったのは5年後のA.D.1804年である。

②の選択肢はロベスピエ〜ルが処刑された事件だ。

③の答えはマルクス主義で知られるカ〜ル・マルクスがこの年に出版した書籍の題名である。

④の答えについてはまず間違える人間はいないだろう。ナポレオンはフランス人。イスラムとは何の関係もない。

 


世界史クイズ15

 


1848年に起きた出来事として誤り(注意❗️)の選択肢を選べ。

 

1、アメリカによるカリフォルニア併合

2、二月革命

3、「共産党宣言」の出版

4、30年戦争の終結

 


答え)④

解説)①の選択肢については事実なので、そうだったとしか言いようがない。

②の選択肢についてであるが、少し詳しく説明しよう。というのも、今、自分自身がフランス史を勉強しているからだ。「二月革命」を知るにはその前知識として「フランス革命」を知らないと話にならない。とりあえず、この際だから中世フランスにまで時代を遡ってみよう。フランスは元々、西ロ〜マ帝国が滅んだ後に建てられたゲルマン人国家・フランク王国に端を発する。そのフランク王国が三つに分裂して現在のフランス&イタリア&ドイツの原型ができた。フランスの元となったのはこのうち西フランク王国である。そして、その西フランク王国が滅びるとパリ伯のユ〜グ・カペ〜がカペ〜朝を開いた。そして更にカペ〜朝のフィリップ4世の子供に世継ぎがいなかったためにカペ〜朝が断絶すると、そのカペ〜朝のカペ〜家の親戚筋にあたるヴァロワ家のフィリップがフィリップ6世としてヴァロワ朝を創始した。このカペ〜朝断絶の際に生じた争いが英仏100年戦争である。詳しい経緯に関しては私が書いた世界史クイズ11の解説、或いは映画「ジャンヌ・ダルク」を観ていただきたい。ミラ・ジョボビッチ主演の作品である。またはイングリッド・バ〜グマン主演でも映画化されている。よく映画なんかでは歴史は学べないなどという人がいるが大嘘だ。確かに作品によっては時代考証が誤っていたり史実と異なっていることを描いていたりすることもある。が、大筋を手っ取り早く知るにはいい。それにそもそも「英仏100年戦争」も知らない人間に対して時代考証もクソもないのだ。だから、まずは何でも興味を持てる分野から入ればいい。映画や漫画など。それらを観るか読むかして興味を持てたら本格的に勉強すればいいのである。話が逸れた。閑話休題。さて、「英仏100年戦争」である。結果だけを言うとフランスが勝った。この戦争以前には、イギリス国王は広大な土地をフランスに持っていたが、戦いに負けたイギリスはカレ〜という町だけを残して後は全て失った。また、この戦いによって多くの諸侯たちが没落し相対的にフランス国王の権力は高まった。それから「フランス革命」までの間、神聖ロ〜マ帝国との間で「イタリア戦争」が繰り広げられたりレオナルド・ダ・ヴィンチがフランス国王フランソワ1世の宮廷に招かれたりといろいろあったが、知っておくべき重要な出来事としては「ユグノ〜戦争」がある。ユグノ〜とはキリスト教プロテスタントカルヴァン派を指す言葉で要は宗教戦争だ。カトリックプロテスタントが戦った。更に複雑にフランス国内の権力争いが絡んだりして、フランス国内は大混乱に陥ったそうだ。この大混乱を収拾させたのがアンリ4世によるナントの王令だ。彼自身はユグノ〜であったが国民感情を考慮してカトリックに改宗した。このナントの王令によってユグノ〜、つまりカルヴァン派が公認されることになった。そして、アンリ4世はブルボン朝を創始した。ここから「フランス革命」までは割と近い。ブルボン朝には「朕は国家なり」の言葉で有名な「太陽王」、ルイ14世がいる。ベェルサイユ宮殿を作ったりした。ちなみに、アメリカのルイジアナ州は彼の名前に由来する。ルイ14世時代の重大は事件としてはナントの王令の廃止がある。これによって多くの商工業者(その大半がユグノ〜)が宗教的自由を求めて国外へと亡命し、フランスの産業は停滞し財政難は深刻化した。はっきり言って超失策である。続くルイ15世の時代には「スペイン継承戦争」&「オ〜ストリア継承戦争」&「7年戦争」&「フレンチ・インディアン戦争」&「プラッシ〜の戦い」と多くの戦争(実はもっとある)を戦い多くの植民地を失った。更にルイ16世の時代には「アメリカ独立戦争」に参加して、これら多くの戦争はルイ14世以来の財政難に拍車をかけた。それから少し時代が経って「フランス革命」が勃発した。ルイ16世の治世下でである。ルイ16世の妻はあのマリ〜・アントワネットだ。ハプスブルク家オ〜ストリアから「7年戦争(世界史クイズ12の解説参照)」の際に政略結婚としてブルボン家フランスに嫁いできた。「フランス革命」が起こった背景はこうだ。一番の問題は財政問題だろう。ルイ14世以来の度重なる戦争と宮廷での浪費は深刻な財政破綻をもたらしていた。しかし、財政を立て直そうにも金持ちの聖職者や貴族は免税特権を持っていた。人口の2%を占めるに過ぎないにも拘わらず、フランスの国土の40%を所有していたのである。更には憲法もなかったし普通選挙もなかった。これらの社会的矛盾を解決すべく民衆は立ち上がったのである。ま〜、立ち上がったと言うより怒りくるったわけだ。詳しい革命の経緯は省くが、ザックリ言うとこの革命により憲法の制定&王制の廃止&主権在民&私有財産の不可侵などがもたらされた。それから、確かにこの革命は多くの成果を生んだが結果としてはナポレオンも失脚して革命は失敗に終わったので、「フランス革命」の後に開催されたウィ〜ン会議ではルイ16世の弟がルイ18世としてブルボン復古王制が成立した。次に即位したシャルル10世は反動政治を展開したので国民の反感を買い、1930年の「7月革命」によって打倒された。この革命により7月王制が誕生したが、極端な制限選挙であったため参政権を持たない労働者階級は怒り再度、革命が起こる。これが「2月革命」である。時は1948年。

③の選択肢については前問・世界史クイズ14の解説において書いた。

④200年ずれている(1648年)。これによって30年戦争(世界史クイズ12を参照)が終結した。

 


世界史クイズ16

 


俗に年齢が40のことを不惑というが、それは誰の言った言葉によるものか?

 

1、孟子

2、孔子

3、荀子

4、老子

 


答え)②

解説)①の答え「孟子」は儒学の祖・孔子の弟子である。弟子といっても孔子の死後、約100年ぐらい経ってからの門下生であり、孔子が生きている間の弟子ではない。とにかく孟子の言った言葉が不惑という言葉の語源ではない。

②の選択肢「孔子」は儒家の始祖である。儒教と呼ばれることもあるが儒家の教えは宗教ではなく道徳に近いものなので、儒学と言ったほうが適切だ。その孔子であるが、15歳の時に学問に生きようと決めたらしい。そして、30歳でそれを成就した。そして更に40歳になって惑わなくなったそうな。これが原文だとこうなる。「四十而不惑」。こうして歳が40のことを不惑と言うようになった。

③の「荀子」も孟子と同様、孔子の弟子だったが、孟子が人間は生まれながらにして善だと言った(性善説)のに対し、荀子は人間は生まれながらにして悪だ言った(性悪説)。荀子のこの考え方は法家の思想に影響を与えた。

④の選択肢「老子」は「無為自然」などを説いた。

 


世界史クイズ17

 


ギリシャの北に位置する国・マケドニアの出身、または血筋の者でない者は次の誰か?

 

1、アレクサンドロス(アレキサンダ〜大王)

2、マザ〜・テレサ

3、クレオパトラ

4、カエサル(ジュリアス・シ〜ザ〜)

 


答え)④

解説)アレクサンドロス、マザ〜・テレサともにマケドニア出身。クレオパトラアレクサンドロスの部下のアンティゴノスの子孫である。アンティゴノスはかなり有名な武将の名前であり、世界史好きで知らない人間はまずいない。アレクサンドロスは32の若さでしんだが、彼の死後に起こった戦いをディアドコイ戦争と言い、大きく分けて3つに別れた。そのうちの1つがアンティゴノス朝マケドニアである。後の2つはプトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアだ。厳密には、それら以外に更に2国あるが知らなくていい(自分も知らないw)。だから、当然、彼女はエジプト人ではなくギリシア人である。

 


世界史クイズ18

 


第一回三頭政治に含まれていないのは誰か?

 

1、カエサル

2、オクタウィアヌス

3、クラッスス

4、ポンペイウス

 


答え)②

解説)オクタウィアヌスは第二回三頭政治の一人で、初代ロ〜マ皇帝としてはアウグストゥスという。

 


世界史クイズ19

 


次のうち、フランスの王朝でないのはどれか?

 

1、ヴァロワ朝(=オルレアン家)

2、カペー朝(=カペ〜家)

3、ブルボン朝(=ルイ王朝)

4、ハプスブルク家

 


答え)④

解説)ハプスブルク家はオ〜ストリアの名家であり、A.D.15世紀あたりからは神聖ロ〜マ帝国の皇帝の座をほぼ独占した。

 


世界史クイズ20

 


ゴシック建築様式はどこの国の何という王朝で発展したか?

 

1、イギリスのプランタジネット朝

2、フランスのカペ〜朝

3、オ〜ストリアのハプスブルク家

4、イギリスのテュ〜ダ〜朝

 

 

 

答え)②

解説)ゴシックとは「ゴ〜ト人のような」、或いは「野蛮な」という意味でフランスのカペ〜朝の下で発展した。