インド紀行⑥⑦(タイ編)
その日、わたしとJはどこかで借りた「フレンズ」をゲストハウスで観ていた。
また、Jが煩い。
やれ、NYでこんな暮らしは金銭的に無理だとかブラウン管に向かって文句を言っている。
この女は黙ってられないのか。
煩いのである。
JはNY出身だ。
だから、いかに「フレンズ」での生活が現実的でないかが目について仕方がないのだろう。
しかし、こっちはそんなこと知ったことではない。
ただ純粋に楽しんで観たいだけである。
違う日にはX・ジャパンのライブ・ビデオを観た。
ここ、タイ🇹🇭ではX・ジャパンが人気がある。
たしか、ヒデが亡くなった際、後追い自殺があったはずだ。
バンコクの紀伊国屋書店では、芸能雑誌にYOSHIKIの高校の卒業アルバムの写真が載っていた。
ネパ〜ルでも人気があるのか、X・ジャパンのカセット・テ〜プが売っていた。
(続く。。。)
インド紀行⑥⑤(タイ編)
Jの友だちのアメリカ🇺🇸人の女の子が、チェンマイにある大学で教師👩🏫として働いていたので、わたしとJも必然的にその大学で教える教師👨🏫👩🏫たちと行動を共にした。
食事🍽に行ったり。
そのアメリカ🇺🇸人の女の子は英語か何かのクラスを担当していたはずだが、何故か周りには美術の教師👨🏫👩🏫たちが多くいた。
そのうちの1人のタイ人教師👩🏫が、失恋💔をしていた。
同僚の男性教師👨🏫と昔、付き合っていたらしいが、その男のほうがオランダ🇳🇱人女性と恋に落ちたか何かで、彼らは別れたみたいだった。
が、彼女は未練タラタラのようで、彼がそのオランダ🇳🇱人女性と一緒にいると、泣きそうになっていた。
また、彼女が言うには、外国人旅行者から「ハウ・マッチ?」とズバリ訊かれることがあるそうで、「タイ🇹🇭の女みんなが売春婦じゃないわよ!」とよく愚痴っていた。
一回、彼女にうっかりタイ🇹🇭の女の子を紹介してと頼んだら、それも🆖だったらしく、「わたしはそういうことはしないの!自分で探して!」とピシャリであった。
わたしは何もそういうつもりだったわけではないのだが。
一方、Jの友だちのアメリカ🇺🇸人の女の子は、タイ🇹🇭人の男性美術教師👨🏫に猛アプロ〜チをかけられていた。
だが、彼女にはそういう気持ちはなかったらしく、そのタイ🇹🇭人男性教師👨🏫にやんわりと断っていた。
どこもかしこも恋愛である。
わたしとJはそういう関係ではなかったと言うか、わたしは彼女の性癖に辟易していた。
と言うのも、Jは何と言うかフェミニストのようで、わたしが「ほら。アメリカ🇺🇸人の男はバスケ⛹️♂️⛹️♀️🏀が好きでしょ?」などと言おうものなら、「何でバスケ⛹️♂️⛹️♀️🏀好きを男に限定するの?」と一々噛み付いてくるのである。
あまりにそれが酷いので、わたしは言った。
「あのさ。。。会話をただ純粋に楽しめないの?」と。
(続く。。。)
インド紀行⑥②(タイ編)
タイへは飛行機でカルカッタから向かった。
タイで何をするかは決めてなかったが、何処へ行くかは決めていた。
ダラムサ〜ラで同じ宿に泊まっていた数人の旅行者がその時、タイにいたからだ。
カルカッタの空港で会ったイスラエル人の旅行者たちと話しながら飛行機に乗ったので、タイのバンコク国際空港へはすぐに着いた。
タイに行ったことがない日本人は驚くと思うがタイの経済は日本のそれより遥か遅くに成長したので、デパ〜トなどは比較的近年になって建てられており日本のそれらとは比較にならないほど豪華だ。
1階から3階までのエスカレ〜タ〜が天井吹き抜けだったりする。
その反面、道端に屋台が並んでいたりもする。
インドも貧富の差は酷いが、タイもまた酷い。
たしか、映画「ブレ〜ド・ランナ〜」の描く近未来のディストピアは、東南アジアの混沌とする街並みをヒントにしていたと思う。
話をわたしが何をしていたかに戻すと、理由は忘れたがインドで会ったアメリカ人の女の子Jと合流するまで時間があったので、それまでは宿屋が一緒だった日本人旅行者たちと行動を共にした。
付き合いでゴ〜ゴ〜・バ〜にも行った。
買春はしなかったが。
タイは売春天国だ。
また、アル中天国でもある。
ついでに言えば、オカマ天国。
個人的偏見を言えばこの3つに尽きる。
タイ人は怒るだろうけど。
わたしはこの3つのうち、アル中天国を目指した。
ま〜、オカマ天国を目指す人はいないと思うが。
そんなワケで、わたしは朝から晩までビ〜ルを呑みまくった。
心配はいらない。
タイでは朝から呑んだくれてる人間など何も珍しくはないのだ。
よく、デパ〜トのフ〜ド・コ〜トなどで、真昼間から酒🍶を呑んでいるタイ人男を見かけた。
そうこうするうちに、アメリカ人の女の子Jがバンコクへやって来た。
(続く。。。)
インド紀行⑥①
どういうル〜トを通ったかは忘れたが、我々はインド大陸の真ん中を突っ切って北上した。
だから、当然、他には旅行者などいなかった。
いい経験だったが、今になって考えるとかなり危険な行為である。
運がよかったのか、さして危険な目には合わなかった。
ひとつだけあるとしたら、安宿に泊まったものの宿泊費の交渉で話が決裂して、朝になると我々は宿泊費を払わず走って逃げた。
幸いにもそこはインド。
警察も何も追いかけては来なかった。
インドは無法地帯である。
警察なんか頼りにならない。
兎にも角にも、わたしはデリ〜へ戻った。
どこかでそのカナダ人の女の子とは別れたので一人であった。
冬のデリ〜は寒かった。
夜寝るときにはブランケットが必要だった。
お正月をデリ〜で一人で迎えることになったのだが、わたしは部屋に籠ってジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロ〜ド」を読んだ。
やたらとインドを放浪する旅行者の間で話題だった本である。
たまたま、日本から短期間だけインドに来た大学生がその本を持っていたので、わたしは彼からそれを買ったか何かした。
むちゃくちゃ読みたかったからだ。
だが、読んでみると期待していた程にはよくなかった。
詳しい内容は忘れたが主人公がアメリカ大陸を放浪するというもので、社会からドロップ・アウトしていない人間には刺激的なのかもしれないが、インドまで来て長期滞在していたわたしの場合、刺激的な体験どころか日常であった。
デリ〜から何処へ行くかは決めていなかった。
ビザもあと3ヶ月は残っていたので、いようと思えばまだインドにいられた。
しかし、北から南まで一通りインドを旅行して廻ったので、タイへと行くことにした。
(続く。。。)