文豪自殺辞典③・・・三島由紀夫
三島由紀夫、本名・平岡公威は祖父の代から続く官僚の家に生まれた。
祖父は樺太庁長官まで上り詰めた人物だが、後に失脚した。
父親もまた官僚であった。
三島自身も専業作家になる前は大蔵省に勤める官僚。
しかし、二足の草鞋を履くのは大変だったようで、友人に小説家として一本で生活したいと相談する。
そして、「仮面の告白」の担当編集者であった坂本龍一の父親の勧めで専業作家となるべく大蔵省を辞す。
以後、多くの小説を書き昭和を代表する作家となる。
ノ〜ベル文学賞を日本人が受賞したとの伝えを聞いた時には、師匠の川端康成ではなく自分のことだと思ったそうだ。
小説家として活躍するだけでなく、俳優やボディ〜・ビルなどにも打ち込む。
次第に右傾化してゆき、自衛隊が正式な軍隊でないことを嘆く。
また、日本という国そのものをも。
まさに憂国の状態であった。
1970年11月25日、盾の会のメンバ〜と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入。
自衛隊員相手に決起を促す演説を行うも失敗し割腹自殺を遂げる。
享年45。