文豪自殺辞典②・・・太宰治
太宰治、本名・津島修治は青森県でも有数の豪農の11人兄弟の10番目の子供として生まれる。
一族は75万坪を有する大地主であり、父親は貴族院議員として多忙な毎日であった。
旧制高校生時代に、憧れていた芥川龍之介の自殺を知り強い衝撃を受ける。
それ以来、高校生の身でありながら遊廓に通いだす。
東京帝大仏文科に進学するも授業に一回も出席せず、卒業資格試験において試験官から「教授の名前を1人でいいから言ってみろ。言えたら卒業させてやる」と言われるも言えず見事に中退となる。
中退後、銀座のバ〜の女給と知り合い心中することに。
が、相手の女性だけが死に太宰は助かる。
その後、師匠の井伏鱒二の仲介で結婚。
しばらくは精神の安定した時期を過ごし、小説の執筆も順調に進む。
戦後に書いた「斜陽」はベスト・セラ〜となるも、愛人の山崎富栄と共に入水自殺。
享年36。