自由競争と平等のいずれが望ましいか
今、我々は競争社会に生きている。
ほとんどあらゆることが競争だ。
恋愛にしろ受験にしろ就活しろ結婚にしろ。
平等を望んでいるのは勝者になることや幸福を諦めた者が、正義という美名を武器に行っている自己欺瞞だ。
たとえば、今年の4月にある共産党支援者たちと知り合った。
たまに行く古本屋が閉店となり、そのスペ〜スが選挙期間中、共産党の選挙事務所に貸し出されていたからだ。
ある老婆は言った。
「こんなにお金があるんだから、アメリカから武器なんて買ってないで、もっと社会に還元すべき!原発なんて廃止すべきよ!」
聞いていてその性根の嫌らしさに辟易した。
バカらしいので、彼女のそれらの意見に一々反論はしなかった。
一銭の得にもならないどころか怨まれるだけに違いないから。
が、今、これを書いていたら思い出していらいらしてきたので、彼女の意見に対する反論を書く📝
「こんなにお金がある」←「ありません」
「アメリカ🇺🇸から武器なんか買ってないで」←「日本🇯🇵はアメリカ🇺🇸の属国みたいなもんです。買わないわけにはいかないんです」
「もっと社会に還元すべき」←「あなたの全財産を放棄してからそういうことは言ってください」
「原発は廃止すべき」←「詳しくは知らないけど、利権とかが複雑に絡んでるから無理」
これだから民主制の世の中はイヤだ。
恥知らずにもバカが偉そうに意見を言う。
無知なのはいい。
問題なのは自らの無知を自覚せず、 自分を正しいと思い込んでいることである。