QPtanの日記

読書日記や種々雑感、および英語や国語の効率的な学習法

形而上的な疑問

はたして神は存在するのか。

死んだらどうなるのか。

無になるのか。

神の存在の有無や魂の永続性、あの世の存在。

こういった人間の理性では把握することのできない諸問題のことを形而上学と呼ぶ。

反対に、人間が感覚器官を使って実際に経験できることについての問題は形而下学という。

読書好き、あるいは大学受験で現代文を勉強したことのある人にならば馴染みのある言葉だと思う。

が、日常生活で耳にすることはまずないはずだ。

だいたい読みかたが難しい。

それぞれ、「けいじじょうがく」に「けいじかがく」である。

英語だとわかり易い。

形而上学」は「metaphysics」だ。

「メタ(meta)」は「〜を超える」という意味である(元々の意味は違う)。

「metaphysics」の「physics」とは自然科学のことである。

つまり、自然科学を超えた領域を扱う学問、それが形而上学だ。 

自分は不可知論という哲学的立場をとっているが、2人の知り合いの医者にこの質問をしたことがある。

1人はあっけなくこう言った。

「死後の世界?いや。信じへん。脳なんてカルシウムやから」

2人目はこう言った。

「それは、あなた。あれだよ。ヴィトゲンシュタインが「論考(論理哲学論考)」の最後の一節で言った「語り得ぬものには沈黙せねばならない」だよ」

後者の意見は自分の知る限りでは不可知論と同じだ。

ヴィトゲンシュタインが言った「語り得ぬもの」とは形而上の事だ。

つまり、ヴィトゲンシュタインは極めて知的に「は?そんなことぐだぐだ言ってたって、そもそも人間の理性(=知性)を超えてんだよ。だから、無責任に証明もできないことを言うのはバカがやることなの」と言ったのである。

話を初めに戻すと神は多分いないだろう。

というよりも、いてもいなくても同じだと思う。

悪を赦す神の存在などどうだっていい。

こんなひどい世界なのだ。

こんな世界を神が創ったとしたら、神の世界創造は失敗だったのだ。

自分はこの世界が好きではないし、また、人間の大多数も好きではない。

じゃ〜、なんで生きているのか。

死ねないからだ。

楽に苦痛なく死ねるほど現実は甘くない。

それにもし仮に安楽死が許されても、今までに受けてきた屈辱を晴らすまでは死なない。

地を這いつくばってでも生き抜く。

臥薪嘗胆が座右の銘だ。