インド紀行⑥⓪
何の予備知識もなしに行ったプナだったが、着いてみるとビックリ。
そこはOshoという日本人なら聞いて思わず笑ってしまう尊称を持つラジ二〜シという人物(故人)が率いる、セックスを肯定するカルト宗教団体の本拠地だった。
如何にもセックスを肯定している宗教団体らしくその宗教団体の施設内にはディスコやバ〜があり、日中、それら施設に向かう西洋人の女性の中には修行着に厚化粧という異様な出で立ちの者もいた。
Oshoという人物はすごく、存命中に自ら悟ったと豪語していたらしい。
また、どういう理由からかは知らないが90台以上のロ〜ルスロイスを保有していたり、アメリカのオレゴン州には巨大な宗教生活共同体を建設し近隣の町を乗っ取ろうとしたりとわけがわからない。
宗教団体が政治権力を持とうとしたのでは、オウム真理教と似ているかもしれない。
サルモネラ菌を使ったバイオ・テロ事件を起こした点なども、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教と共通点がある。
実際の世俗権力を持とうとしたのやバイオ・テロ事件を起こしたのは置いておくと、その宗教団体は大人のテ〜マ・パ〜クといった感じでなかなか面白そうだった。
(続く。。。)
インド紀行⑤⑧
ゴアは旧ポルトガルの植民地なので、インドでは例外的に牛肉が食べられる。
と、これを書いていて疑問に思った。
インド🇮🇳自体が旧イギリスの植民地だったのだから、この論理で行けばインド全域で牛肉が食べられなくてはおかしいではないか。
しかし、そうではない。
5スタ〜・ホテル🏨のような治外法権が働く場所を除いては、基本的にインド🇮🇳では牛🐮は食べられない。
ヒンドウ〜教において聖なる動物とされるからだ。
ま〜、牛🐃を食べられるか食べられないかは別に重要ではない。
我々3人はその日、牛🐄を食べたわけじゃないのだから。
では、何をしたか。
名前は忘れたが、夜🌉はバ〜になるレストランで何かを飲んだか食べたかした。
Yのボ〜イフレンドのラジとテ〜ブルに座っていると、全身を革で包んだ欧米人の女性がバイク🏍を降り「ハイ!」と挨拶🤝をした。
(続く。。。)
インド紀行⑤⑦
ゴ〜カ〜ナからはゴアへ行くことに決めていた。
ダラムサ〜ラ〜で仲良くしていた日本人の女の子Yがインド人の彼氏とゴアにいると連絡をくれたからだ。
実は私は彼女に恋心を抱いていた。
というわけで、私はバスのチケット売り場に急いだ。
ゴアとゴ〜カ〜ナは同じゴア州にある。
ほどなくしてゴアに着くと、Yが泊まっているインド人の家を探した。
彼女からは事前にゴアで泊まっている民家の地図をもらっていたのだ。
しかし、どう探しても見つからない。
「あっちかな?こっちかな?」ともらった地図を頼りにそこらを行ったり来たりしていると、「◯◯〜!こっちこっち!」と聞き慣れた声がした。
「やっと見つかったわ。。。」
インドの茹だるような暑さの中、私はくたくたに疲れていた。
おまけに昨夜は蚊のせいで一睡もしていない。
バックパックをその民家に置くと、私たち3人は散歩に出かけた。
(続く。。。)
インド紀行⑤⑥
ついさっき目の当たりにした、わけのわからない行為を繰り返し行う男に頭をフラフラさせながら宿へ帰ると、そこには誰もいなかった。
どこに行ったかと探し回っていると、宿屋のおじさんから彼らは宿を変えたと聞かされた。
何やら私の戻って来るのを待っていたそうだが、待てど暮らせど帰ってこないのでおじさんに言伝だけ頼み別の宿へと行ってしまったらしい。
たまたま、ゴ〜カ〜ナまでの途上で一緒になっただけだったし、彼らの中に特に気の合う人間がいたわけでもないので、私はそこにそのまま泊まることにした。
。。。
しかし、それは大きな間違いだった。
私が泊まった部屋は地べたに敷居を建て屋根を付けただけのものだったのである。
床が地面であり、寝心地が悪いなんてもんじゃなかった。
というか、まったく眠れなかった。
もの凄い数の蚊に一晩中、刺されまくったからだ。
(続く。。。)
インド紀行⑤⑤
もうかなり昔のことなので記憶が曖昧だが、ラジャスタンの後にはゴ〜カ〜ナという超ヒッピ〜・リゾ〜ト地に行った。
なんでゴ〜カ〜ナへ行ったのかは覚えていないが、とにかく行った。
ちなみに、ゴ〜カ〜ナへは独りで行った。
Tの名誉のために書いておくが、私たちの恋愛は詳細は省くが終わっていたのだ。
旅の途上で知り合ったバック・パッカ〜たちと宿を決めると、私はあるインド小料理屋に入った。
すると、前方に怪しい動作を繰り返し行っている男に気がついた。
何を思ったか、その男は女性が周りにいるとみるや手当たり次第にウィンクをしていたのである。
その女性が別の男と一緒にいようがいまいが構わずに。
アホである。
(続く。。。)
インド紀行⑤④
早々にリシケシを後にすると、我々はいったんデリ〜に戻ってから砂漠地帯であるラジャスタン地方に行った。
たしか、ウダイプルとジャイサルメルだったと思う。
二ヶ所か三ヶ所を訪れた。
そのうちの一ヶ所の街には湖に浮かぶホテルがあった。
泊まったわけではないが。
また、どこかの街では何故かダリの絵を何かの布に描き写して旅行者たちに売っていた。
私は今も昔も洒落の通じない真面目人間なのでこれに激怒した。
いったい、ダリとインドの間に何の関係があるというのか。
洒落といえば、インドを旅行するバック・パッカ〜たちの間で何か似た味の物を表現する際に、「Same. Same. But, different.(同じ。同じ。でも、違う)」という言い方が流行っていたがこれにも私は噛みついた。
「Similar.(似ている)」のほうが適切ではないかと。
(続く。。。)