「無神論」と「不可知論」の違い
東京オリンピックには多くの外国人が来ることが予測される。
その際に注意が必要なのが、「あなたの宗教は何か?」という質問に何と答えるかだ。
たまに、というか頻繁に「仏教徒と答えなさい」などと書いてある本があるがオススメはしない。
そんなもの少し教養のある外国人なら、「上座部か?大乗か?宗派は何だ?「空」の概念を説明してくれ」といった風に訊いてくるからだ。
なので、あなたが本当に仏教徒でないならば、安易に仏教徒などと言うべきではない。
が、特定の宗教を信じていないからといって、無神論者(atheist)などと言ってはさらにいけない。
なぜなら、無神論とは単に神の存在を信じていないといった意味以上に、道徳(善悪とか)の根拠を信じていない、また、認めないという哲学上の立場だからである。
大多数の人間がなんかしらの宗教を信じている海外の国の人には、これは恐ろしい印象を与える。
極端に言えば、「わたしは殺人でも何でもやります!」(善悪の根拠を認めないから)というように写る。
では、何と答えればいいか。
ずばり、不可知論(agnostic)である。
不可知論とは読んで字のごとく、「(人間の理性では)知ることが不可能」という意味の哲学的な立場であり、一番無難かつ知的な答えだ。
こういうことを言うとあれだが、英語を母国語とする人間の中にもこの言葉を知らない人はかなりいると思う。
だからと言って、自分は何も知的に見せたいからとかいうような理由からこの言葉を使っているわけではない。
自分の考えに合致するからである。
19のときにドストエフスキ〜の「罪と罰」を読み、それからニ〜チェを読み始めて善悪ないし道徳の根拠を考え続けたが、約20年経ち(今、40である)、不可知論の立場こそが最も知的に誠実な態度だという結論に至ったからだ。