イギリスが招いた国際紛争
イギリス🇬🇧って奴は。。。
イギリス🇬🇧は第一次世界大戦後に当時のオスマン帝国領をどうするかで、二枚舌👅ならぬ三枚舌👅外交をやってのけ、これが今日にまで至るパレスチナ🇵🇸問題の根にある。
まずは「フサイン・マクマホン協定」から。
イギリス🇬🇧はフサイン(メッカの太守)がオスマン帝国に反乱することを条件にアラブ人国家の独立を認めた。
次に「サイクス・ピコ協定」。
戦後、オスマン帝国領をイギリス🇬🇧・フランス・ロシアによってどのように分割するかを定めた秘密協定。
最後の3つ目が「バルフォア宣言」である。
第一次世界大戦を財政的に援助してもらいたかったイギリス🇬🇧は、ロスチャイルド家から資金援助をしてもらう見返りに、戦後、ユダヤ人国家の建設を約束する。
あとは知っての通りかの地にはユダヤ人国家・イスラエル🇮🇱が建国されたが、それに不満を持つアラブ🇦🇪諸国によってユダヤ人vsアラブ人の血で血を洗う凄惨な争いが今尚続いている。
これについては知っていた。
しかし、インド🇮🇳・パキスタン🇵🇰問題までもにイギリス🇬🇧が絡んでいたとは昨日まで知らなかった。
インド🇮🇳にあったムガル帝国が滅びると、1877年、インド帝国が樹立されヴィクトリア女王(イギリス🇬🇧の王様)がインド🇮🇳の皇帝も兼任することになった。
さて、このようにしてインド🇮🇳はイギリス🇬🇧の完全な植民地になったわけであるが、困ったのが彼らインド🇮🇳人の反英感情だった。
そこで、イギリス🇬🇧側は、インド🇮🇳人の反英感情を緩和することを期待しインド国民会議を開催することにした。
が、国民会議自体が反英的になってきてしまったので、今度はインド人同士の宗教的対立を煽る作戦に出た。
こうして出来上がったのが「全インド・ムスリム連盟」である。
要は少数派のイスラム教徒に対して味方だとの立場をとったわけだ。
さて、第一次世界大戦中、イギリス🇬🇧はインド🇮🇳に自治を認めることを条件に協力🤝を得るが、戦後、その約束を反故にしたので反英感情はさらに高まった。
。。。
ていうか、今、読み返していて呆れた。
イギリス🇬🇧にである。
素晴らしい国だ。