QPtanの日記

読書日記や種々雑感、および英語や国語の効率的な学習法

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

インド紀行②④

ダラムサ〜ラへと戻ると、そのまま例のオ〜ストリア人と一緒に宿に泊まった。 ここダラムサ〜ラでは建物が急斜面だろうがなんだろうがおかまいなしにやけくそ気味に建てられている。 ジャッキ〜・チェン主演の「ポリス・スト〜リ〜」で刑事たちと犯人たちが…

インド紀行②③

シュリナガ〜ルへはラダックで知り合ったオ〜ストリア人の旅行者と一緒に行った。 今回は前に泊まったハウス・ボ〜トとは違うハウス・ボ〜トに泊まった。 そのオ〜ストリア人の旅行者はどこで覚えたのか知らないが、カヌ〜を非常にうまく漕いだ。 シュリナガ…

インド紀行②②

ラダックはむちゃくちゃ寒かった。 無理もない。 富士山よりも標高が高いのだ。 これだけ標高が高いと空気が足りなくて、寝ている時に酸欠で目が覚めることがある。 また、肌、特に唇がカサカサになった。 ここで一緒になった旅行者のグル〜プの間で、なんで…

インド紀行②①

シュリナガ〜ルからラダックまでは、ダラムサ〜ラからシュリナガ〜ルへとやって来たイスラエル人旅行者と一緒に行った。 ラダックへのバス移動では、またしてもトラブルがあった。 一台のバスがエンストを起こし、乗っていた旅行者たちは坂道を走って他のバ…

インド紀行②⓪

どういった経緯かは忘れたが、インド軍の施設に何故か行った。 替えのパンツ(ズボン)がないので、インド人の兵隊さんから借りた。 シュリナガ〜ルでは湖の周りをぐるりと自転車で一周もした。 また、モスクへも行った。 こうやって思い出しみると、結構、色…

インド紀行①⑨

シュリナガ〜ルはイスラム教徒が大多数を占める。 泊まったハウス・ボ〜トのオ〜ナ〜もイスラム教徒だった。 だからお酒を飲むことはいけないことなのだろう。 一度、私がお酒を飲んでいると一口くれと言い、ものすごい勢いで隠れるようにサッと飲んだ。 お…

インド紀行①⑧

いや。 3ヶ月間、ダラムサ〜ラに滞在したと書いたが、思い出してみるとシュリナガ〜ルに一度行きまたダラムサ〜ラに戻って来た。 シュリナガ〜ルはインドのかなり北に位置し、宗教的な問題か何かでパキスタンと揉めている紛争地域だ。 そこら中に戦車や銃を…

インド紀行①⑦

ダラムサ〜ラは大きく分けて3つの街に別れる。 マクロ〜ド・ガンジにダラムコット、そしてバグス〜だ。 このうちダラムコットはイスラエル人がほとんどを占め、治外法権が適用されている(ウソ)。 バグス〜はなんと言うかヒッピ〜・チックな街である。 やけ…

インド紀行①⑥

なんとか無事にダラムサ〜ラに着くと、しつこい客引きをかき分け宿を探して荷物を降ろした。 今回はダブル・ル〜ムである。 バスが横転事故を起こした時に、たまたま一緒になった日本人の青年と泊まることにした。 荷物を宿に置くと、街に出てダラムサ〜ラが…

インド紀行①⑤

翌朝になり迎えのバスが来た。 しかし、横転事故が起きたため、ダラムサ〜ラに着くまで気が気じゃなかった。 さらにことを悪くしたのが、日本では考えられない悪路である。 クライマックスはダラムサ〜ラへと下町のロ〜ワ〜・ダラムサ〜ラから至る急勾配の坂…

インド紀行①④

ところが彼らインド人の警察官たちは横転したバスの前でこともあろうか記念写真を撮って、そのまま何事もなかったかのように帰って行った。 これには本当に呆れた。 旅行者たち皆がそうだったに違いない。 我々、旅行者たちは暗闇の中、取り残された。 誰が…

インド紀行①③

そうこうするうちにバスがやって来た。 わたしの席は左端だった。 なぜ覚えているかと言えばこの後、バスが右側に横転事故を起こし、一番左側に座っていた私はものスゴイ距離から投げ出されたからだ。 最初は右側に少しだけ傾いた。 しかし、私は蚊と格闘し…

インド紀行①②

ダラムサ〜ラにはチベット亡命政府があり、チベット仏教の最高指導者のダライ・ラマ14世もいる。 行くまでは知らなかったが。 デリ〜でバスのチケットを買い、荷物をまとめた。 インドでのバス移動は超長時間である。 デリ〜からダラムサ〜ラまでも12時…

インド紀行①①

宿に戻ると、ロビ〜でやっていたWWEにみんな釘づけになっていた。 私も特にやることがなかったので、皆と一緒にテレビを観た。 たしか、ザ・ロックだったと思う。 彼が映っていた。 私はテレビを観ながら漠然と今後どうするかを考えた。 デリ〜の次にどこへ…

インド紀行⑩

ステ〜キも食べ終えたところで、次はバ〜へと連れて行ってもらった。 そこでは一切、詐欺事件の話はしなかった。 というか、それ以上、突っ込んで話を訊くのは失礼だったろう。 それに私も大して興味がなかった。 お互いにビ〜ルをたくさん飲んだ。 何を話し…

インド紀行⑨

ステ〜キを食べながら、思い切って事件のことについて訊いてみた。 すると意外にも気を悪くした素振りも見せず、おじ〜さんはその話をしてくれた。 おじ〜さんが言うには数年計画で慎重にことを運んでいたそうだ。 インドにもインド人にも慣れ、ビジネス・パ…

インド紀行⑧

ヒンズ〜教では牛は聖なる動物なので、ヒンズ〜教徒が大多数を占めるインドでは限られた場所でしか食べられない。 おじ〜さんが私を連れて行ったのはその限られた場所の1つだ。 と言っても、ただの高級ホテルであったのだが。 要はお金次第だということだ。…

インド紀行⑦

仏教エンタ〜テイメント・パ〜クか。。。 たしかに仏教はインドで生まれたが、今ではすっかりヒンズ〜教に取って代わられ消え去ったに近い。 仮にそのビジネスが計画通り進んだとして、採算が取れないばかりか経営破綻していただろう。 もちろん、そんなこと…

インド紀行⑥

そのおじ〜さんの部屋は屋上の一角にあった。 この日差しである。 最上階なら直射日光が当たって余計に暑いだろう。 チャイを飲みながらお互い身の上話をした。 2、3時間は経っただろうか。 暇だったのでおじ〜さんと一緒にコンノ〜ト・プレイスという、イ…

インド紀行⑤

大して歩かないうちにそのインド人が勧める宿に着いた。 普通の安宿である。 良くも悪くもなかった。 最上階には高齢の日本人が泊まっていた。 話してみるといい人そうだったので、人恋しさもありその宿へと移ることにした。 私はすぐに泊まっていた宿に戻り…

インド紀行④

翌朝目が覚めると、とりあえずインドとはどういうものかと散歩に出かけた。 香辛料の匂いがどこからともなく漂ってきた。 インドの風景はこれまでに見たことのないものばかりだった。 道ばたに転がっている牛の糞。 物乞いをしているインドの下層階級の人々…

インド紀行③

うろ覚えだが、パハ〜ルガンジという旅行者の集まる安宿街だったと思う。 宿の予約などはしていなかった。 今から考えると恐ろしい。 が、個人旅行者、それも放浪に近い安旅をする人間に前もって宿の予約をする者などいない。 私だけが例外ではないのだ。 安…

インド紀行②

初めてインドに行ったのは21の時だ。 あらゆることに絶望して生きていることがイヤになり、死ぬくらいならその前に勇気を出してインドへ行こうと思った。 その時は知らなかったのだが、後から思えば「猿岩石」の頃にちょうど重なる時期だったのかもしれな…

文豪自殺辞典④・・・川端康成

川端康成についてはよく知らない。 三島由紀夫の師匠であったことやノ〜ベル文学賞を受賞したこと、そしてガス管を口に咥え一酸化炭素中毒死しこの世を去ったことぐらいである。

文豪自殺辞典③・・・三島由紀夫

三島由紀夫、本名・平岡公威は祖父の代から続く官僚の家に生まれた。 祖父は樺太庁長官まで上り詰めた人物だが、後に失脚した。 父親もまた官僚であった。 三島自身も専業作家になる前は大蔵省に勤める官僚。 しかし、二足の草鞋を履くのは大変だったようで…

文豪自殺辞典②・・・太宰治

太宰治、本名・津島修治は青森県でも有数の豪農の11人兄弟の10番目の子供として生まれる。 一族は75万坪を有する大地主であり、父親は貴族院議員として多忙な毎日であった。 旧制高校生時代に、憧れていた芥川龍之介の自殺を知り強い衝撃を受ける。 そ…

文豪自殺辞典①・・・芥川龍之介

芥川龍之介は生後まもなく母親が発狂し、それ以来、親戚の家を転々とする。 以後、優秀でなければ捨てられるという恐怖に怯えることとなる。 この暗い幼少期の境遇が生涯にわたり影をさす。 成績優秀であった彼は東京帝大へと進学し、在学中より小説を創作す…

しゃっくり

しゃっくりが止まらなくなるのはしょっちゅうだが、昨日は本当に酷かった。

メンタリスト・Daigoの著書の累計発行部数は300万部

たまたま知ったのだが、メンタリスト・Daigoの著書はなんと累計300万部もあるそうだ。 ついでに、彼は医者になりたかったらしい。 慶応の理工学部か何かから医学部への編入を目指していたみたいである。 まったく知らなかった。

天気予報ほど当たらないものはない

つくづくそう思う。 あんなんで金をもらっているかと考えると腹が立つ。